月ときなこと宝塚

宝塚は幸せの歌

月組『フリューゲル/万華鏡百景色』東京千秋楽

 昨日、月組『フリューゲル -君がくれた翼-』『万華鏡百景色』の配信を見ました。身体的にも精神的にも大変な公演期間だったと思います。休演もありましたが、大千秋楽まで本当におつかれさまでした。

 個人的には、唯一のチケットが公演中止で失われたのが残念でしたが、9月に見た大劇場千秋楽の配信からさらに深化した舞台に心を打たれました。いろんなものを背負って行われたであろう千秋楽を、リアルタイムで見ることができて感謝しています。

『フリューゲル-君がくれた翼-』

 『フリューゲル』は、何かを「信じる」ということが大きなテーマなのだと思いました。同じプロジェクトを成功させるために、思想や立場を異にする人々が互いを信頼するようになる流れを、前よりも強く感じました。

 東のヨナス(月城かなとさん)がなぜ西のルイス(風間柚乃さん)にサーシャ(天紫珠李さん)をすんなり託すのか、どうしてそこまでルイスを信頼できるのか、最初に見たときは少し不思議でした。でも、行動をともにする中で信頼が生まれていたのだなと。

 また、ライブ前にヨナスが拘束されて取り乱すナディア(海乃美月さん)に、ヨナスのことは僕に任せてと約束するルイスと、それを信じて舞台に立つナディアにも納得。改めて、ルイスは東と西をつなぐ信頼の要の役だったのだなと思いました。風間さん演じるこの明るい役に救われました。

 一方、ヘルムート(鳳月杏さん)は信じていたものが崩壊し、自滅していく。でも、それも固く信じていたからこそと思うとやりきれません。つらい役どころの鳳月さんが、『万華鏡百景色』で付喪神になって、最後のデュエットダンスで月城さんと海乃さんの再会まで見届けて笑顔で去っていく姿に、なんだかほっとしました。

 

 分断のドイツを「みんな仲よくなれたらいいのにな」と正直に言えるナディアが好きです。表面的には酒タバコ大好きなわがまま歌手だけれど、芯はフェアな気持ちのいい人。

ナディアに西に来ないかと誘われたヨナスが東にとどまるシーンが心に残っています。

 「この国も悪い事ばかりではなかったんだ。私は共和国を愛している」
 「何が待ち受けていようとも、私はこの国の行く末を見届けたいんだよ」

それから、ベルリンの壁崩壊後の会話も。

 ナディア「これで良かったのよね?」
 ヨナス「わからない。けど信じたい。一つのドイツの未来を」

(『ル・サンク』vol.235)

 9月に配信を見たときはお芝居のセリフとしか思っていなかったのに、あれから色々なことを経た今、この言葉は宝塚に対する私の気持ちそのもののように感じられます。そして私の勝手な想像ですが、今日の公演全体から、月城さんの、そして月組の皆さんの気持ちでもあるのかもしれないと思いました。

『万華鏡百景色』

 お芝居のような、見る詩のようなショー。劇場で打ち上がる花火を見たかった…と思わずにはいられませんでした。

 プロローグで万華鏡をのぞく少女(花妃舞音さん)は、私たち宝塚の観客なのかもしれないなと思いながら全編を見ていました。私たちは美しい万華鏡をのぞき込み、夢のひとときを見せてもらっているのかもしれない。主題歌の歌詞が宝塚そのものです。

 「嗚呼絶景かな 絶景かな
  めいめい咲いては散る花」

(公演プログラム)

 花火師の月城さんと花魁の海乃さんが、悲恋の末に、明治、大正、昭和、平成、令和…と東京で輪廻転生を繰り返す。各場面が少しずつつながっているのもいい。

 印象に残っている場面は「地獄変」。芥川龍之介から絵師良秀にシームレスに変わる鳳月さんと、業の夢奈瑠音さんのダンスが素晴らしい。大殿の蓮つかささん、娘の天紫珠李さん、猿の蘭尚樹さん、業の男役さんたち…みんな巧みで、まさに「業」を見ているようで目が離せませんでした。

 

 それと、今回一番好きな渋谷の場面。まずは引き込まれるカラス・風間さんのダンス。そして月組の真骨頂、お芝居まじりの群舞。大階段いっぱいに広がるモノクロの世界と衣装、辛口の音楽も素晴らしい。

 そこへ帝王のように現れる月城さん、そしてカラスたち。黒い傘と白い傘の意味を知ったときは衝撃でした。絶望と希望の交錯するスクランブル交差点で、一人ひとりが人生に翻弄されている。そこへ一人だけ色のついた衣装の海乃さん。カラスたちが黒の傘を渡そうとするのを月城さんが阻止し、代わりに万華鏡を渡す。

 海乃さんが万華鏡をのぞくと世界に色がよみがえる。振り返ると月城さんはいない。でも海乃さんには笑顔が戻り、前を向いて歩いていく…。海乃さんがラスト、大劇場の配信よりも希望を得た表情をしていたのが印象的でした。

 このシーンは、宝塚が今まで私にくれた希望そのものです。海乃さんの衣装がスミレ色であることも無関係ではないと思います。

 と同時に、その宝塚の劇団員が自ら命を絶つということが起こってしまったのが、どうしようもなく苦しいです。私にとって希望だったものが、絶望の上に成り立っていたのかもしれないと思うと。亡くなった方の無念、ご遺族の悲しみには言葉もありません。

 

 この重い場面から、一気に光の洪水のように始まるフィナーレ「目抜き通り」。胸が震えました。この歌詞がすべてだとも思ったし、それを体現するタカラジェンヌという存在が奇跡のように思えました。自分の中に矛盾があるのを承知しつつ、宝塚がこれからも続いてほしいと思わずにいられませんでした。

 劇団が、非のあったところは認めて謝罪し、改めるべきところは改めていくことを願っています。

 

 今回で退団する蓮つかささん、蘭尚樹さん、水城あおいさん。皆さんの挨拶は、簡潔ながらも舞台に掛けてきた情熱と感謝が伝わってきました。蓮さんの、宝塚の世界が愛にあふれ、夢や元気を届けられる場所でありますようにという言葉が胸に染みます。

 月城さんも言葉を選びながら(何を言っても言わなくても何か言われるでしょうが)、月組を代表して、できるかぎりの思いを伝えていました。おそらく、どう思われることになっても、組の皆さんをねぎらう言葉をかけずにはいられなかったのではないかと。

 タカラジェンヌが安心して舞台に立ち、観客が心から応援できる日が来ますように。

 

月組再開:月組を応援しています

 10月15日から休演となっていた月組『フリューゲル -君がくれた翼-』『万華鏡百景色』が、明日18日から再開されるそうですね。 

 よかった…というのは本心ですが、私は本当は今日のソワレを見る予定でした。あらゆる先行販売の抽選に外れ、先着順販売で取れた唯一のチケット。正直、とても残念です。6月の『DEATH TAKES A HOLIDAY』も公演中止で行けなかったので、結局4月の『応天の門/Deep Sea』以来ずっと月組の舞台を見られていません。月組ファンなのに、悲しいほど縁がない…。

 それにしても、月組の皆さんは大丈夫でしょうか? 休演者と代役については後で発表ということですが、まだまだ心配です。この数日は療養と、他の方々は代役の稽古などに当てられたのでしょうか。宝塚はいま満身創痍のような状態ですが、生徒やスタッフが安心して活躍し、観客も安心して観劇できる体制が早く整うことを願っています。

 

 私自身は、基本スカステ&配信の民なので、それに戻るのもアリかなとは思います。どこか、生で観劇しないと宝塚について語ってはいけない気がしていました。ファンクラブにも入ったことはありませんし、何度も見にいける人々に引け目もありました。

 いま宝塚について発言することは、何を言っても何を言わなくても、誰かを傷つけてしまいそうな状況です。何も言わない人が、何も考えていないわけでもありません。でも、宝塚が好きでブログを始めたのだから、もう少し応援の声をあげられたらと思います。

 明日から再開される月組公演が、千秋楽まで無事に続きますように。(…と書くことさえためらわれてしまうのがつらいところです。皆さんの心身の健康が守られますように)

 

花組『鴛鴦歌合戦/GRAND MIRAGE!』東京千秋楽

 先日、花組『鴛鴦歌合戦』『GRAND MIRAGE!』東京千秋楽のライブ配信を見ました。

 『鴛鴦歌合戦』は、演目を聞いたときは「これを花組で?」と思うほど庶民的なお話で意外でした。でも見てみると、温かい下町の世界が繰り広げられていて楽しかったです。礼三郎 柚香光さんは胸キュンな恋愛物をさせると右に出る者がいないですし、誰も悪い人が出てこないほほえましい騒動には、ここ最近の緊張をほぐしてもらった気持ちになりました。そして最後は蓮京院 京三紗さんの涙と、「誰だって幸せになっていいのよ!」と礼三郎に叫ぶお春 星風まどかさんの言葉にホロリと。

 『GRAND MIRAGE!』は、久々に見るロマンチック・レビュー。淡い色合いのきれいな衣装・舞台に、娘役の大きな帽子。宝塚を見ているな~という気持ちになりました。「シボネー」や「ジュテーム」など、リアルタイムで見ていた名場面があるのも嬉しかったです。「ジュテーム」のあと拍手が鳴りやまなかったのにも感動しました。

 今回は、航琉ひびきさん、和海しょうさん、春妃うららさんがご卒業。ご挨拶の前、美風組長が深々と頭を下げている様子に、胸が締め付けられました。最後の柚香さんのご挨拶は頼もしく、すべてを背負える強い人なのだなぁと。

 退団者の皆さん、ご卒業おめでとうございます。出演者、スタッフ、宝塚の皆さん、本当におつかれさまでした。言葉にされたことも、言葉にならないことも、たくさん伝わってくるような千秋楽でした。見終わって、胃痛がしていることに気がつきました。

 

 月組『フリューゲル/万華鏡百景色』大劇場千秋楽の配信を見てからたった2週間、この間に宝塚ではあまりにいろいろなことがありました。

 公演期間中に生徒さんが亡くなるという事態に衝撃を受けました。そのこと自体にも、それを止められなかったことにも。要因もきっかけも、いろいろあり得ると思います。が、いろんな情報は見聞きするものの、何が本当かを知る立場にない一介のファンなので、不用意なことは書けません。

 劇団が、調査・対策して、二度とこんな悲しいことが起こらないようにすると言っているのを信じ、見ていきたいと思います。

 と同時に、ファンとしてのあり方みたいなものも考えました。宝塚をどう思っていいのかわからなくなったというか。好きであることに変わりはないけれど、好きと言うことにためらいが生まれるというのか。でも、好きだと言わないと、それも嘘になる。ここしばらくずっとそんな感じです。

 

 それにしても…どれほど苦しかっただろうかと思います。残されたほうも、どれほどつらいかと思います。毎日ふと考えてしまいます。

 卒業のご挨拶で、自分ひとりの祈りではどうしようもできないことがあるのだと知った…という言葉がありました(うろ覚えです)。私も同じ気持ちです。それでも、今は彼女たちのために祈らずにはいられません。

 

月組『フリューゲル/万華鏡百景色』宝塚千秋楽と、月城かなとさん・海乃美月さん退団発表

 先日、月組『フリューゲル -君がくれた翼-』『万華鏡百景色』宝塚大劇場千秋楽のライブ配信を見ました。

 

 『フリューゲル』で、月城さんヨナスが海乃さんナディアの口ずさんだ「フリューゲル」の歌に続けて歌ったとき、思わぬ高いきれいな声にはっとしました。男でも女でもなく…というか、男でもあり女でもある男役の到達点があるとしたらああいう声になるのかもと思うような美しい声でした。

 『万華鏡百景色』は、ショーでもあり芝居でもあり、見る「詩」のように言葉がイメージとなって展開していく様が夢のようでした。配信で見ているだけでも、美術と照明と音・音楽のタイミングが気持ちよく、ここぞという時に上がる花火、銀橋で闇市のドン月城さんに当たるスポットなどは天才的。東京公演でなんとか1枚だけチケットが取れたので、観にいくのが本当に楽しみです。

 水城あおいさん、蘭尚樹さん、蓮つかささんの、しっかりした卒業のご挨拶も心に染みました。最後まで明るく、力強く思いを伝え、涙が流れても一点の曇りもない明瞭な発声に、プロの心意気を感じました。その後の月城さんのお話も、いつもながら簡潔で温かく、この月組が大好きだと心から思いました。

 

 その月城さんも、海乃さんも、来年で退団されるんですね。もう最近はフラグ立ちまくりで覚悟せずにはいられませんでしたが、いざ発表されると自分でも驚くほど落ち込んでしまいました。

 私は個人的に風間柚乃さんのファンですが、同じくらい月組全体が大好きです。この、組ごと大好きという感覚は、私が初めて宝塚ファンになった剣幸さん・こだま愛さんの月組を思い出します(私はこだまさんの大ファンでした)。

 退団というものを初めて知って愕然としたのもこの時で、お二人の退団公演『川霧の橋』『ル・ポァゾン 愛の媚薬』の東京千秋楽は、当日券に並んで運よく3階で立ち見をしました。終演後、劇場を出るこだまさん、剣さんを遠巻きに見送り、抜け殻のようになって地下鉄に乗ったのが懐かしいです。

 その後、涼風真世さん、天海祐希さん、久世星佳さん…皆さんが退団されるまで月組を見続けました。剣さん、こだまさんからつながる月組が大好きだったからだと思います。

 

 月城さんと海乃さんの月組は、まさに『川霧の橋』再演から始まったので、勝手にとても思い入れがあります。プレお披露目から全公演、映像がほとんどですが見てきて、『応天の門/Deep Sea』で数年ぶりに劇場に足を運びました。月城さんの美貌と歌声に衝撃を受け、確かな芝居と温かみのある舞台に懐かしさを覚え、風間さんや若手の皆さんの勢いも楽しく、これからも観劇したいと思わせてくれました。

 ついには今年、一度も入ったことがなかった宝塚友の会に入りました笑。せっかく取れた『Death Takes A Holiday』のチケットは公演中止で消えてしまいましたが、『フリューゲル/万華鏡百景色』東京公演は行けると信じています。

 

 月城さん、海乃さんの退団会見の記事をいくつか読みました。お二人とも清々しい表情で、本当に美しい。月城さんの聡明でユーモアのある受け答え、海乃さんの素直な言葉、通底するプロフェッショナルな思考…本当に素敵なトップコンビだと思います。月城さんの舞台挨拶が毎回大好きだったのですが、会見の受け答えも惚れ惚れしました(記事で読んだだけなので、タカラヅカニュースの会見映像が楽しみです)。

 月城さんと海乃さんの月組が大好きですし、これからもきっと月組が大好きです。「○○さんの○組」は、人によって時期によって異なるのでしょうが、こうやって宝塚は受け継がれてきたんだなと思います。月城さんが会見で何度も「つなぐ」と言ったとおりだなと。

 

 昨年(昨年なのがびっくり…)、お披露目公演をお祝いしたくて、『今夜、ロマンス劇場で』のお二人のスチールを買いました。月夜のお花畑に月城さん健司と白黒ドレスの海乃さん美雪がいる横長のスチールで、とてもロマンチックな写真です。退団日は来年の七夕ということで、これまたおとぎ話のようにロマンチックな現実。

 お二人が、最後までいい景色を見られますように。月組を応援しています。

 

『ファントム』で初めて真彩希帆さんを見た

 とても久しぶりの投稿になってしまいました。

 先週、東京国際フォーラム ホールCに『ファントム』を見にいきました。チケットはなかったのですが、当日券に挑戦したところ、「注釈付き見切れS席」1階5列目というすごく前方の席で見ることができました。

 客席前方の両端に翼のように設置されている席で、確かに舞台端は機材で見切れて、演者の声しか聞こえないなんてこともあるのですが、それでもオペラグラスなしで表情が見えるのは最高でした。

 この5列目端っこというのは前が通路になっていて、実質最前列。すぐ横には扉があり、冒頭で突然、クリスティーヌ真彩希帆さんが飛び込んできました。ハッ!と盛大に息を呑んでしまいました笑。映像でしか見たことなかった真彩ちゃんが目の前に立っていて、目があんまりキラキラしていて、大感動。

 

 宝塚の真彩希帆さんが大好きでした。真彩ちゃんは私のいろんな扉を開いてくれた。数年前、宝塚ファンに復帰してから初めて好きになった現役タカラジェンヌが真彩ちゃんでした。初めてのライブ配信も、初めての宝塚ブルーレイも、初めてのインスタグラムも真彩ちゃん。インスタで宝塚OGさんの活躍を見る楽しみを知ったのも真彩ちゃんから。私は真彩ちゃんのインスタが大好きで、あんな文章が書けたらいいなと憧れています。

 なのに、一度も舞台を見たことがありませんでした。真彩ちゃんの公演は、宝塚時代も退団後もいつも大人気でチケットが取れなかったのと、あと何となく気後れして…。でも、今回当日券に並んで本当によかった。舞台で見る真彩ちゃん、お芝居も歌も素晴らしかったです。

 

 もちろん、キャストの皆さん全員が素晴らしかった。私が見た回のメインWキャストは、ファントム/エリックが城田優さん、クリスティーヌが真彩希帆さん、シャンドン伯爵が大野拓朗さん、カルロッタが石田ニコルさん、少年エリックが星駿成さん。宝塚版しか知らなかった私の『ファントム』観がすごく揺さぶられました。

 9月9日(加藤和樹さんファントム最終日)と10日(大千秋楽)はライブ配信もあり、私は9日だけ見ることができました。こちらはファントム/エリックが加藤和樹さん、シャンドン伯爵が城田優さん、カルロッタが皆本麻帆さん。

 『ファントム』関係者の皆さま、素晴らしい舞台を本当にありがとうございました。ライブ配信もとても見応えがあり、中央からの景色や絶妙なカメラワークのおかげで、観劇時とは違う目で改めて作品を見ることができました。

 

 以下、すごく長いうえにクリスティーヌに偏った感想です。観劇1回・配信1回しか見ていないので勘違いなどあるかもしれません。あと『ファントム』のネタバレを含みます。

宝塚版との違い

 『ファントム』は、花組 春野寿美礼さん主演、蘭寿とむさん主演、雪組 望海風斗さん主演版をそれぞれ映像で見ましたが、宝塚以外の『ファントム』は今回が初めてでした。個人的に大きな違いは、

  • 冒頭が「僕の悲劇を聴いてくれ」で始まらない!
  • ビストロでエリックとクリスティーヌの二重唱がない!
  • 基本的にエリックとクリスティーヌの恋物語じゃない!
  • クリスティーヌとベラドーヴァの演者が同じ!
  • 歌詞と演出が全般的にかなり違う!

 Amazon Musicにある Phantom: The American Musical Sensation (Premiere Cast Recording) の歌を聞いたところ、こちらが原作ミュージカルに近いのかもと思いました。

 宝塚版は、宝塚にぴったりの秀逸な演出だったのだなと思いつつ、番手を守らないといけないので人物の比重にどうしてもゆがみが出ます。その点、こちらの『ファントム』はドラマが転がっていく動因もわかりやすくて、私にはとてもしっくりきました。

(ビストロでの望海さんと真彩ちゃんの二重唱が美しくて大好きだったけれど、この場面はクリスティーヌが主役を勝ち取る場面なのだから、クリスティーヌを前面にした演出が自然なのかも…と思ったり)

 歌詞も、聞き慣れた宝塚版も美しくて大好きですが、こちらの歌詞はより原語に近いのかなと思いました。多くは聞き取れていませんが、原語の歌詞は具体的な印象です。それがかなり忠実に再現されているおかげで、細部にたくさんの発見がありました。

『ファントム』の主役たち

ファントム/エリック

 城田さんと加藤さんのエリックは、人に甘えたかと思えば激昂し、善悪の観念が定かでなく、人との距離感が不安定な幼い青年でした。そりゃ社会と接点を持たずに育ったらそうなるよね…と思う、太陽を見たことがなさそうなエリック像。オペラ座の地下の墓地、闇の中に生まれ、光を渇望して育った。

 かわいそうに思う反面、人を平気で殺すし、殺人直後に喜々として好きな子をピクニックに誘う異常さ。エリックの父キャリエールがクリスティーヌに、彼を一面だけで理解することはできないと言ったのは、観客に向けての言葉でもあると思いました。ともするとエリックかわいそう、クリスティーヌひどい…となりやすいところ、エリックの両面性や不気味さがはっきり表現されていたのが個人的によかったです。

 

 「Where In The World」の歌が大好きなのですが、エリックが最初に歌う大ナンバーがこの曲なのが、宝塚版しか知らなかった私には新鮮で、すごく納得がいきました(宝塚版は「僕の悲劇を聴いてくれ」から始まる)。私の中で、この曲は演目から独立した名曲になりつつあったのですが、城田さんが再び物語に埋め戻してくれました。

 それと、クリスティーヌに顔を見られて逃げられたあとに歌う「My Mother Bore Me」。あまりの名曲に、城田さんの歌を息を止めて聞いていた気がします。加藤さんの歌は、エリックの中で世界のあらゆるものがクリスティーヌになっていく狂気と悟り、愛と呪いが目に見えるようで、神々しくさえ思えて、配信を見ながら大号泣。

 エリックは常識で考えればとんでもない人物だけれど、善悪を超えて、いろんなことを考え、感じさせてくれる。ミュージカルの力を改めて感じました。

 

クリスティー

 真彩ちゃんのクリスティーヌは、いうなれば音楽馬鹿(失礼)。ビストロで歌コンテストに勝ったあと、シャンドン伯爵と夜デートしてこれは恋~とかI love you~とか言われているのに、さっきの自分の歌は「6点か、7点か」とか聞いてしまいます。クリスティーヌには、音楽以外の強い動機がない気がする。自我もあまり強くない。

 クリスティーヌが初めてオペラ座に来たときに歌う「Home」が大好きです。衣装部屋で洗濯物に埋もれながらも、音楽にあふれたこの場所をホームと感じ、聞こえてくるオーケストラの楽器の音色に耳を澄ませる。私まで音楽に包まれた気持ちになりました(歌詞に出てくる楽器の音色が音楽でも聞こえた?のがまた感動)。

 私はクリスティーヌが天涯孤独な気がしていて、社会がどこもアウェーだったクリスティーヌがようやくホームを見つけた安らぎを感じました。雪組版では、「アリアを聞けば感じられるわ この世に生まれた喜びや幸せも」と歌う真彩ちゃんから、生きていく場所=舞台を見つけたクリスティーヌの心の震えが伝わってきたのを思い出します。

 

 今回のクリスティーヌは、エリックにもシャンドンにも基本、恋愛感情を持っていない気がします。エリックは音楽の師として尊敬し、機会をくれたシャンドンにも感謝しているけれど、クリスティーヌにとって一番大事なのは音楽と、舞台で歌うという夢。

 恋愛より夢に邁進したい時期のクリスティーヌ(と私には思える)が、それでもシャンドンと恋仲になるのは、やはり彼がオペラ座の大パトロンだからなのかなと。押しが強いし(クリスティーヌは、カルロッタにも押し切られてファントムのレッスンのことを話してしまうなど、基本的に押しに弱い)。

 それに、ハンサムだし、親切だし、基本的に善人だし。クリスティーヌも惹かれてしまうよね、とは思います。甘い雰囲気に流されてしまう…と、顔を見られて逃げられたエリックも言っていました。

 

シャンドン伯爵

 大野さんと城田さんのシャンドン伯爵は、とてもかっこよかった。見目麗しく、堂々としていて、何でも持っている恵まれた人。まさにシャンパンのように光り輝く昼の王子。エリックと対照的です。

 それにしても、この人はいつクリスティーヌを好きになったんだろう? パリの街角で一目惚れ…にしては、ビストロで再会するまで、クリスティーヌが歌手ではなく衣装係にさせられたことさえ知らなかった(様子を見にいけばいいのに)。クリスティーヌが歌も衣装も見違えて美しくなり、一夜でオペラ座の主役をつかんだシンデレラガールだからなのかなとも思いますが、再会前から恋しているふうでもあり、うーん…。

 

 でもこの人は物語上、クリスティーヌをオペラ座に連れてきたり、エリックがクリスティーヌへの気持ちを自覚したりするきっかけを起こす重要な役割でもある。もうちょっと描き込めないのだろうか?と思っていたら、今回エリックとクリスティーヌとシャンドンの三重唱があって、おおっ!と思いました(公演プログラムを読むと、2019年版からあったらしい)。宝塚版でも、二番手をキャリエールではなくシャンドンにしてみると、ちょっと違う『ファントム』になって面白そうです。

 それでも、今回のシャンドンがクリスティーヌにふさわしくないと思うのは、クリスティーヌがエリックにさらわれたあと、地下へ追いかけようとしながらも、警察に止められてあっさり引き返してしまうところ。地下にいる確証はないのだから仕方ないけれど、合理的な昼の王子は闇の世界からクリスティーヌを救うことはできない、という象徴的な場面に思いました。

 

カルロッタ

 石田さんと皆本さんのカルロッタは、クリスティーヌとの対比が明確で面白かったです。プリマドンナになるために何でもやって、夢を手にしたカルロッタ。オペラ座支配人の夫を利用しているのも確かだけれど、愛し愛されているのも確か。でも、才能だけが足りない。そんな彼女が、自分からは何もしない(ように見える)のに歌の才能だけはあるクリスティーヌを死ぬほど憎むのはわかる気がします。

 カルロッタの歌「This Place Is Mine」は、オペラ座のすべてを手に入れた(トイレまで!)のに、音楽だけが自分に微笑まない苛立ちのように聞こえました。石田さんの歌はとくに。皆本さんは、興奮すると過呼吸気味になって夫がなだめる描写があり、自分の満たされなさを自覚しそうになると発作が出ているようにも感じました。

 

 オペラ座のすべてを掌握したと宣言しても不安なカルロッタと、音楽を聞くだけでそこが自分の居場所だと安らげるクリスティーヌ。カルロッタだって音楽が好きで歌い始めただろうに、音楽の神に愛されていない。クリスティーヌは才能があるうえに、努力をしてそれを開花させる。その差に、何だかカルロッタを応援したくなりました。

 まあカルロッタも、強欲なうえに、クリスティーヌに毒を盛るという暴挙に出る。それでも、あんなふうに惨殺されるいわれはないはず。エリックにめった刺しにされて、楽屋の隠し扉から奥に引きずり込まれる姿が、恐ろしくも悲しかったです。

 

 こうして見ると、自分が一番ほしいものが手に入らない人たちなんだなと思います。エリックは愛を求め、クリスティーヌは夢を求め、シャンドンは恋を求め、カルロッタは才能(自信?)を求め…。クリスティーヌだけは夢を手にしますが、みんながよってたかってそれをつぶす。極端な見方ですが、結果的にはそんな気がします。

キャリエールとベラドーヴァ、とクリスティー

 今回とても驚いたのが、エリックの母ベラドーヴァとクリスティーヌを両役とも真彩ちゃんが演じていたことです。これがとてもよかった。エリックとキャリエールにとってクリスティーヌがどんな存在に見えたのか、とてもよくわかりました。

 

キャリエール

 すべての悲劇の芽は、キャリエールが結婚を隠したままオペラ座の踊り子ベラドーヴァと恋に落ちたこと。妊娠したベラドーヴァはキャリエールの結婚を知って姿を消す。キャリエールが探し当てたときには薬漬けになっており、狂気の中でエリックを産む。生まれたエリックは目も当てられない容貌をしていた…。

 そしてドラマの発端も、キャリエールがオペラ座支配人を解任されたこと。これでクリスティーヌは歌のレッスンを受けられずに衣装係となり、ひとり歌うところをエリックに聞かれ、秘密のレッスンが始まり…と玉突きのように事態が発展します。弱い本人の周りで嵐のようにドラマが回る。自業自得もあるけれど、なんとも不運な人だなと。

 

 この人も一筋縄ではいかない人物です。宝塚版では、主に二番手スターが演じることもあって、どうしてもキャリエールに対する評点が甘くなります笑。でも岡田浩暉さんのキャリエールは、弱さ、優柔不断、臆病さ、エゴ、老い…をちゃんと表している。それに、エリックを長年(やり方は間違っていたかもしれないけれど)守ってきたのも確か。それが愛でなくて何だろうとも思います。

 最後のエリックとの「You Are My Own」は、こんな因果な奴らに泣かされてたまるかと思いつつやっぱり号泣。宝塚版は銀橋を使ったドラマチックな演出だけれど、こちらは階段の下で二人うずくまって身を寄せ合う…というのがさらに悲しくて。もう、こんなに辛い人生を与えてごめんね…と勝手に神様のような視点でキャリエールの労をねぎらいたくなります。

 

ベラドーヴァ

 キャリエールがエリックの物語を語るなか、クリスティーヌは退場して真彩ちゃんはベラドーヴァとして現れます。ベラドーヴァにセリフはなく、ほとんどを踊りで表現。このダンスがまた素晴らしかったです。

 真彩ちゃんは、役の感情を見る者の中におこさせる天才だと思います。それを実現するには声や体を絶妙にコントロールする必要があり、それが演技力であり表現力であると思うのですが、そこがずば抜けている。

 ベラドーヴァの踊りを見て、雪組ひかりふる路』の「葛藤と焦躁」の歌を思い出しました。マリーアンヌの愛と悲しみ、それ以上の怒り(仇なのに愛してしまったロベスピエールへの、社会、時代、革命、運命への…)が伝わってきて衝撃を受けました。宝塚の娘役が怒りをこんな形で表すことに驚くとともに、とても嬉しくてファンになった。

 

 キャリエールは、美しいベラドーヴァが平凡な自分を好きになってくれたのを不思議に思い、理由を尋ねる。そのとき、ベラドーヴァは答える代わりに歌い出した…ということに何だか感動します。その美しい歌声を初めて聞いた岡田さんキャリエールの感動が、伝わってきたのかもしれません。

 でも、妊娠して結婚を望んだのにキャリエールは既婚者だったと知ったときの衝撃、悲しみ、怒り。闇の中で踊るベラドーヴァに、「従者」が布に包まれた赤ん坊を渡してエリックが誕生。

 『ファントム』では、地下に住む名もなき人々「従者」が重要な役割を果たします。エリックと同じように、上の世界に居場所がない人々。従者はみんな重そうな布で頭を覆ったり仮面を付けたりしています。エリックより悲惨な容貌や境遇の人もいたかもしれない。人は闇から生まれ、闇に消えていく…従者を見ているとそんな気がします。

 

 でも、赤ん坊を抱いたベラドーヴァに光が差し込みます。そして彼女が歌うのが、醜いはずのエリックに語りかける「Beautiful Boy」(宝塚版は「You Are Music」のみ)。歌詞を正確に覚えていないのですが、この腕の中なら怖くない、ここにいれば誰もあなたを傷つけない、二人でいつまでも…みたいな歌詞でした。母の愛には違いないけれど、エリックにとっては、一生をここに閉じ込める呪い以外の何ものでもない。

 そして、この歌がそのまま「You Are Music」につながることに鳥肌が立ちました。

「You Are Music あなたこそ私の光」

 周りにいた従者がベラドーヴァの腕から赤ん坊を引ったくると、布の中には何もない。布は大きく広がって光の粒がキラキラ降り注ぎ、少年エリックが後ろに登場する。客席から見たこのシーンは、照明を見上げているせいもあってあまりに神々しく、息が止まりました。と同時に、ベラドーヴァの瞳に本物のエリックは映っていなかったことを表してもいるようで、悲しかった。

 

地下のクリスティー

 クリスティーヌがエリックに素顔を見せてと歌う「My True Love」が昔から苦手です。素顔を見せて、何もかも知りたい、私に何もかも預けて、真実を見せて、さあ!と両手を差し出して迫ってくるなんて、もはやホラーに見えます(すみません…)。

 それに、クリスティーヌがいきなりエリックに愛を語り始めるのが不自然に思えて。宝塚版は、ファントムのレッスンが終わるときの「You Are Music」で、互いの気持ちが通じる描写が強めだったので、もっと自然に思われたのですが(その分、素顔を見て逃げていくクリスティーヌが余計ひどく見える…)。でも、今回は不自然に思う…で正解な気もしています。

 というのは、エリックの物語を聞いたあとのクリスティーヌは、半分ベラドーヴァに憑依されているように見えるからです。「Beautiful Boy」でベラドーヴァがエリックにかけた愛と呪いをクリスティーヌも受けている。クリスティーヌは、地上にいたらエリックに顔を見せてほしいなんて言わない気がします。やはり地下という闇の世界の魔法にかかっている部分があると思う。

 そして、ベラドーヴァに憑依されたクリスティーヌだからこそ、エリックは素顔を見せても大丈夫かもしれないと思ってしまったのではないかと。

 

ファントムの素顔

 ここで、『ファントム』は単に「顔」の話ではないのだなとやっと気づきます。

 ファントムはどんな素顔をしているのでしょうか? 人を不安にさせる和音、音の組み合わせというのがありますが、もしかしたら視覚的にも人を恐怖に陥れる視覚パターンというものがあり、エリックの顔は不幸にもそういうものだったのだろうかとかいろいろ考えます(原作小説の描写もやや超常現象気味)。ふつうの「醜さ」だったら、『ファントム』のクリスティーヌは逃げ出したりしないと思うのです。

 それに、クリスティーヌはどう反応すべきだったんだろうか?とも。見ても顔色一つ変えずに微笑む…というのは別の意味でホラーだし、衝撃を受けつつ気丈に振る舞うのも、今度は「クリスティーヌ 偽善者」とかいう検索ワードが出てきそうです。エリックも観客もクリスティーヌに「聖女」を求めすぎで、クリスティーヌも地下の雰囲気に飲まれたのかその気になってしまったのが運の尽き…というと元も子もないですが。

 

 そもそも人の容貌を「受け止める」とは何だろう? 容貌だけでなく、たとえば過去に犯した罪とか、醜い感情とか、人にはいろいろ隠したい秘密があるけれど、それを知ったときに私たちはどう反応するのがいいのか? ということを考えさせられます。

 それと、仮面をつけたままの人間関係は果たしてウソなのだろうか?とも。仮面をつけたファントムとのレッスンで、クリスティーヌは音楽を通じて心が通い合うのを感じていたと思います。それをキャリエールにあなたはわかっていない、と否定された気がしたから、エリックの素顔を見て自分を試そうとした…とも考えられます。

 

 まあ、結局クリスティーヌは自分に負けてしまいます。自分の中にある愛を信じたクリスティーヌが、あるいは、人に助けてもらってばかりだったけれど自分にも人を救えると思ったクリスティーヌが、エリックの顔を見た瞬間表情を失い、足の力が抜けて座り込んでしまう。エリックが差し出す手にびくっと身を引き、懸命に立ち上がろうとするも叶わず。ようやく立ち上がると、エリックの顔を見ずに無言で走り去る。

 観劇後、一番よく思い出すのがこのシーンです。そしてあれこれ考えたあと、いつも最後に思うのは、これで若いクリスティーヌを責めるのは酷だということです。もちろん、あんまりな生い立ちをしたエリックも。この二人が「愛」に飛びつかず、エリックが「My Mother Bore Me」で歌う「真の友達」になる道はなかったのか…と思わずにいられません。

 

クリスティーヌという人物

 ここからはほとんど私の妄想なのですが…。

 クリスティーヌは謎多き女性です。19世紀に若い女性がパリに出てきて、歌いながら楽譜を売って、一人でオペラ座を訪ねて、誰にも相談せずそのまま就職する(ように見える)。エリックの過去はあれだけ語られるのに、クリスティーヌについては誰も興味を持っていない気がする。ちょっとくらい聞いてあげて!と思います。

 だいたい、歌手になりたいのになぜ楽譜を売る? そもそもなぜ楽譜が書ける? その教養はどこから? ウィリアム・ブレイクの詩も知らないのに…。仮面の男にほいほいレッスンを受けてしまう辺りも不用心です。

 今回のエリックは少し不気味(すみません…)なところがありますが、クリスティーヌもけっこう不気味(本当すみません…)です。クリスティーヌは人を信じすぎる。人の悪意に鈍く、意地悪されてもいつも笑顔。私には、クリスティーヌ自身が仮面をかぶっているように見えます。「いい人」の仮面を。それを、エリックが素顔を見せたときに一緒に剥がされた…そんなふうにも思いました。

 

 クリスティーヌの生い立ちは劇中でほとんど語られません。「Home」の歌詞に一瞬「パパ」が出てくるくらいです。ひとり生きていくために、人の情けに頼り、悪意から目をそらして感情に蓋をするしかなかったのかな…などと考えます。

 たとえば…クリスティーヌは田舎町で父親とふたり貧しい生活を送っていた。父は音楽家だったが家は没落し、母は早くに亡くなった。音楽馬鹿な父親に生活能力はなく、クリスティーヌが働いたり施しを受けたりして辛うじて暮らしていた。

 でも、クリスティーヌは父の音楽が大好きだった。働くのに手いっぱいで勉強する暇もないけれど、父から音楽の素養を受け継ぎ、自由に歌う。オペラ座の話を聞いたり、父が楽譜を書くのを見たりしていたかもしれない。その父も、やがて病気で亡くなる。天涯孤独になったクリスティーヌはどこかの家で住み込みで働くが、突然仕事を切られ、パリに仕事を探しにくる。

 冒頭のパリの広場で歌うクリスティーヌは、そんな追い詰められた状況にあったかもしれない。飾り気のないドレスで(宝塚版とは違い質素なドレスだった)、笑顔を仮面のように顔に張り付かせながら、歌うことで辛うじて生きている。音楽だけが父との唯一のつながり、幸せが存在したことの証だから。そして父親が言ったとおり、行けばわかるはずの自分の居場所を見つけたい、舞台で歌いたいと願い、夢に向かって歩き出す…。

 

 実は今回、クリスティーヌの人物像が最後までよくわかりませんでした。真彩ちゃんの歌に、演技に感動しながらも、クリスティーヌはやはり謎のままだった。それは、クリスティーヌの背景があまりにも描かれていないから…というのが大きいと思います。劇中ほとんど従順なクリスティーヌの数少ない積極的行為が、街角で楽譜を売ること(と、キャリエールに逆らって地下に残ったこと)なのに、どういう経緯でそうなったのか描かれていないので。

 真彩ちゃんは、クリスティーヌを演じるのはこれが最後と言っていますが、いつかこの謎を解いてほしいなと勝手な願いを持ってしまいます。

 

 最後に、クリスティーヌはエリックの死後、どうやって生きていくんでしょう? 

 このクリスティーヌを幸せにできたとしたら、シャンドンの光属性も本物だと思うけれど、クリスティーヌは自分の力で立ち直っていくのかもしれない…と、願望を込めて思います。最初は罪悪感でいっぱいだろうけれど、歌い続けてほしい。音楽をホームに、名実ともに世界のディーヴァになってほしい。

 

 すごく長い記事になってしまいました。観劇後、いろいろ考えすぎて感想がまとまらず(まだまとまってないけれど)、やっと最後まで書くことができました。

 今回『ファントム』の物語と音楽の豊かさを改めて知りました。まだまだ知り足りない気持ちです。私の世界をまた豊かにしてくれた真彩ちゃんに、すべての『ファントム』関係者の皆さまに、感謝しています。

 

音くり寿さん出演『星の数ほど夜を数えて』を観劇

 このブログは宝塚ブログなので、タイトルを上記のようにさせていただきましたが、先日、TipTapのミュージカル『星の数ほど夜を数えて』を観にいきました。

あらすじ

大学の天文サークルで出会った夫婦。娘も自立し、仕事をリタイアして悠々自適の老後を送ろうとしていた矢先。

妻が認知症だと診断される。薄れていく記憶の中、妻は夫にあるお願いをする。

夫はその願いを叶えることができるのか。愛する妻と人生の終わりに向かって歩き始めた夫。

二人が選び取る幸せとは?

https://tiptap.jp/next/

 劇場は、東京スカイツリーに近い「すみだパークシアター倉」。親水公園沿いにあり、錦糸町や押上の駅から15分ほど。黄昏時の水辺をのんびり歩きながら、劇場に向かいました。蝉の声の下で、子供たちが水に入ってバシャバシャ水遊びをしている。見上げれば、夕空にそびえるスカイツリー。なんだか懐かしいような、妙に未来的なような、不思議な気分になって劇場に着きました。

終演後の舞台。撮影・掲載可とのことで、ありがたく掲載させていただきました。

 劇場に入ると、舞台には幕がなく、正方形に近い奥行きのあるフロアにすでにセットが置かれていました。中央に台と、その上にベンチが一つ。劇中では、これが家にも庭にも、病院にもタクシーの車内にもなります。奥の壁一面に、星空のように照明が無数に光っていてとても幻想的。客席は、劇場サイトによると150席くらいでしょうか。

 『星の数ほど夜を数えて』はミュージカルなのですが、開演前から、舞台後方で音楽家の皆さんがめいめい音を出していました。ピアノ、ギター、バイオリン、チェロ。

 そして開演直前、まだ暗い舞台上に演者の皆さんが登場し、それぞれ位置に着く。私は上手側の席だったのですが、目の前数メートルのところに音くり寿さんが歩いてきて、スツールに座りました。思いがけない登場に、なんだか信じられない気持ちになって、思わず暗闇のなか音くりちゃんをガン見…(すみません笑)。

 

 今回の公演、私は音くり寿さんの舞台姿を見たくてチケットを取りました。ほとんど映像でしか見たことがありませんが、宝塚の音くりちゃんが大好きでした。宝塚時代を観にいけばよかったという心残りは今もありますが、一方で、私は宝塚退団後の音くり寿さんの方が見てみたいのかも…という予感もいつもありました。

 お芝居が始まって、第一声がくり寿さんでした。最初の歌も。クリアなセリフときれいな歌声。あの音くりちゃんだ!と思いましたが、歌うにつれて、くり寿さんの体から自然に出る、宝塚時代よりは低い地声の歌がとても心地よく響いてきました(もちろん高音も美しい)。初めて表情がハッキリと見える距離で音くり寿さんを見ながら、私はこういうくり寿さんが見たかったんだなと、なんだか納得した気持ちになりました。

 

 お芝居の内容は、まだ上演中なので詳しくは書かないようにしますが、認知症になった妻(白木美貴子さん)と、それを支える夫(今井清隆さん)の最後の日々を、娘(音くり寿さん)の視点から回想するというお話です。その周りにケアマネージャー(内藤大希さん)、医者・調査員・ヘルパー(千田阿紗子さん)など、二人を支えるいろんな人たちもいますが、出演者は5人だけ。

 皆さん声も歌も素晴らしく、5人だけでこれだけ豊かな舞台空間が生まれるんだなと感動しました。ソロも合唱も、お芝居も。自然に歌が始まり、自然にセリフになっていく。生演奏の音楽も本当に素敵でした。

 お話は夫と妻を中心に進み、他の役者さんは出番がないとき、照明の当たらない舞台上のいろんなところに座って中央のお芝居を見たり、役柄が変わるときは着替えたり、場面転換の小道具を運んだりします。この時、ライトの当たっていない音くり寿さんをまたしても見てしまうわけですが、表情が柔らかくて、ああ、この役のくり寿さんを見られてよかったなとつくづく思いました。

 

 ときどき、ミュージカルにとって歌とは何だろう?と思ったりします。今回、認知症の検査を受ける妻が、医者の言っている言葉がわからなくて戸惑う…その気持ちが歌になっていました。その途端、今まで医者と妻を客観的に横から見ている感じだったのが、スポッと妻の気持ちに同化しました。この感じがミュージカルの醍醐味の一つなのかもしれません。

 私はよく、お話に没頭するよりもいろいろ考えながら見てしまうのですが、でもだんだん見ているうちに、妻の、夫の苦悩に、夫婦の姿に、娘の思いに、涙が止まらなくなって、マスクの中が大変なことになりました笑。

 

 今回のお芝居は、役に個人名がありません。妻、夫、娘、ケアマネージャー、医者…。役割を表す役名のみ。だからか余計に、自分のこととしていろいろ考えてしまいました。

 一つだけ、主人公夫婦はまだそこまで老齢ではないのに、認知症というだけで人生の終わりを考えなくてはいけないのだろうか?という引っかかりを感じました。でも、違和感を覚える箇所というのは大抵、自分自身が引っかかっていることなんだと思います。

 自分の両親のことや、夫、夫の両親のこと。仕事の忙しさに紛れて放置しているいろんなこと。両親の年や自分の年。私はもう人生を折り返したんだろうか? などなど。そんな諸々について、ちゃんと時間をとって考えようと思いました。…まあ、お芝居とは関係のない個人的な感想ではあるのですが。

 

 今回の劇場「すみだパークシアター倉」は、天井がとても高く、奥行きがあって、星をテーマとする本作にはぴったりな空間でした。見ているうちに、星空に浮かんでいるような気分になり、こんな空間に体ごと包まれる劇場での観劇は、やっぱり特別なひと時なんだなと改めて思いました。

 と同時に、舞台上のほんのり明るい「現在」という一瞬を、宇宙的な時空からほんの束の間見させてもらった気分にもなりました。私の人生も、星から見ればほんの一瞬。でも私にとってはこれがすべて。もう少し大切に生きていこう…と思うような、そんな舞台でした。

 この作品と出会わせてくれた音くり寿さん、素晴らしい出演者の皆さん、スタッフの皆さん、素敵な舞台をありがとうございました。シナリオも買ったのでじっくり読みます。

 

 TipTapのミュージカル『星の数ほど夜を数えて』は、8月7日(月)まで上演中です。当日券も出ているとのことなので、興味のある方はぜひ。

tiptap.jp

 

月組『フリューゲル』新人公演配役

 先日、月組『フリューゲル -君がくれた翼-』新人公演配役が一部発表されましたね。

  • ヨナス・ハインリッヒ:瑠皇りあさん(本役 月城かなとさん)
  • ナディア・シュナイダー:花妃舞音さん(本役 海乃美月さん)
  • ヘルムート・ヴォルフ:彩路ゆりかさん(本役 鳳月杏さん)
  • ルイス・ヴァグナー:雅耀さん(本役 風間柚乃さん)

 

 瑠皇りあさん、新人公演初主演おめでとうございます!

 お芝居も歌も美貌も月城さんゆずりの(と言いたくなる…)瑠皇さんが、月城さんの役をどのように演じられるのか、今からとても楽しみです。

 

 個人的な話になりますが、私は4月に月組応天の門』で久しぶりに宝塚を観劇しました。とても印象に残っているのが、風間柚乃さんと瑠皇りあさんです(風間さんの話はブログでも何度もしてしまっていますが…)。実を言えば、観劇前からおふたりの声には惹かれるものがありました。

 観劇前に、音楽配信で『応天の門』の「もう一人の少年」の歌を買っていたのですが、これには風間さん基経の歌だけでなく、瑠皇さんの少年吉祥丸と白河りりさんの少年基経のセリフ、そして瑠皇さんの歌も入っていました。その少年吉祥丸の歌声に、とても心揺さぶられたのです。

 舞台で見た基経と吉祥丸の回想シーンは素晴らしく、今も心に残っています。純粋で儚げな吉祥丸を、そんな脆さとは無縁なはずの基経が追憶する。私を基経と同じような気持ちにさせてくれた瑠皇さんの歌は、お芝居のうまさからくる表現力があるように思いました(風間さんも)。

 あの素敵な歌声を、主演としてたくさん聴けるのかと思うと、今度の新人公演が本当に楽しみです。

 

 暑い日が続いていますが、どうか皆さんお元気で。本公演も新人公演も、いい舞台となりますように!