月ときなこと宝塚

宝塚は幸せの歌

『ジョー・ブラックをよろしく』と『DEATH TAKES A HOLIDAY』

 月組大劇場公演『フリューゲル-君がくれた翼-』『万華鏡百景色』のポスターが出ましたね。東ドイツ軍人の月城さん、西ドイツのポップスター海乃さん、秘密警察の鳳月さん、指名手配写真でピースしている風間さん…。ポスターの切手が斬新です笑。

 予想がつきませんが、明るく楽しそうなドイツもの! とても楽しみです。これまでに宝塚で描かれたドイツとはまた違う、新しい方向性が見られる気がして。ショーはもう、月組でレビューを見られるのがひたすら楽しみです。正統派な黒燕尾、あるかな?

『DEATH TAKES A HOLIDAY』

 大劇場公演を楽しみにしつつ、今日も『DEATH TAKES A HOLIDAY』の予習のお話を。まあ、映画『ジョー・ブラックをよろしく』を見たわけです。そしたらとてもいい映画で、大号泣。

 Wikipediaによると、『DEATH TAKES A HOLIDAY』という作品は、

  • 1924年にイタリアの劇作家Alberto Casellaさんが書いた戯曲『La Morte in Vacanza』が原作
  • 1929年にWalter Ferrisさんがブロードウェイ用の『Death Takes a Holiday』に翻案
  • 1934年に同名の映画となる(邦題『明日なき抱擁』)
    (その後、何度かラジオドラマ化、テレビドラマ化などされる)
  • 1998年に映画『Meet Joe Black(邦題『ジョー・ブラックをよろしく』)』に翻案
  • 2011年に『Death Takes a Holiday』としてミュージカル化。オフブロードウェイ初演(作詞作曲Maury Yestonさん、脚本Thomas Meehanさん、Peter Stoneさん)

という感じでたびたび翻案・映画化され、今回宝塚で上演されるのはこのミュージカル作品なんですね。

en.wikipedia.org

 原作が書かれてほぼ100年。作品の舞台も1920年代のようなので、まさに第一次世界大戦直後。つまり、死神が疲れ果てるほど人が亡くなった時代。きわめて同時代的な作品だったんだな、と。

 『ジョー・ブラックをよろしく』のほうはというと、舞台は現代(90年代)のアメリカで、登場人物の名前や設定も大きく改変されています。ミュージカル版は、おそらくもっと原作に近いのではと思います。

 でも、この映画も同時代的。「死」から反転して「生きるとは?」を問う描き方がそれはそれは見事で、もしかするとラストによっては私は舞台よりも映画の方が好きかもしれない…といらぬ心配をしています(まあ、舞台を見たらそちらに夢中になっていることでしょう笑)。

 「死」が人間の姿をとってこの世に現れる…という点で、映画を見ながら『エリザベート』のトートや、あとなぜか『グランドホテル』についても考えていました。以下はもしかするとネタバレになるかもしれません(『ジョー・ブラックをよろしく』については確実にネタバレしています)。なので、少しも情報を入れたくない方はご注意を。

『ジョー・ブラックをよろしく』

 宝塚の作品紹介から予想すると、『DEATH TAKES A HOLIDAY』では死神がニコライ・サーキ(月城さん)という人間の姿でこの世に現れ、ランベルティ公爵(風間さん)の一人娘グラツィア(海乃さん)と恋に落ちる。その中で、死とは、生きるとは、愛とは…という話になっていくのではないかと。公爵だけは彼が死神であることを知っているというのがポイント(Wikipediaを読むと、もう一人知っているらしい…)。

 映画『ジョー・ブラックをよろしく』でも、主軸は同じ3人。

でも、ジョーとスーザンの恋愛と同じくらい(またはそれ以上に)、寿命を迎えつつあるビルと死神…という関係性が深く描かれています。なんだか『グランドホテル』を男爵とグルーシンスカヤを主軸にするか、オットーと男爵を主軸にするか…という感じに似ている気もします(月組はそういう話に好かれるのだろうか?)。

 

 ビルは、一代で巨大企業を築き上げたビジネスマン。妻とは死別していて、自身も体の不調を抱えている。娘が二人いて、長女アリソンは凡庸な男と結婚しており、次女スーザンは医学生で独身。スーザンには、ビルの部下でもある有能な恋人がいるが、それほど情熱は見られない。生きる喜びを知らないように見えるスーザンを、ビルは心配している。ビルは妻をとても愛していた。

「一度くらい恋に溺れてみろ。地に足が付かない思いで、歓喜の歌を歌い、踊り出してみろ」(『ジョー・ブラックをよろしく』吹替版)

 スーザンはある日、コーヒーショップでたまたま会った男性と話をし、互いに引かれるものを感じるが、名前も知らないまま別れる。男は直後、交通事故で死ぬが、スーザンは知らない。

 夜、その男の姿を借りた死神がビルの前に現れる。人間の世界に興味を持った死神にこの世をガイドすることで、ビルはもう少しだけ生きられることに。男の名前を家族に聞かれたビルは、とっさに紹介する。「Meet Joe Black」(こちらはジョー・ブラックさん、みんなよろしく…という感じ)。

 

 映画が始まってしばらくは、この死神はトートではなくメフィストなのかなと思っていました。でも、「人間」初心者の死神がこの世を体験していく姿は、シニカルというよりは素直でかわいらしくさえある。ネクタイの締め方がわからないジョーのネクタイをビルが締めてあげるシーンがあるのですが、月城さんのネクタイを風間さんが締めてあげるシーンはありますか?(たぶんない)

 先日、タカラヅカ・ニュースで『DEATH TAKES A HOLIDAY』はコメディでもあると聞いて意外な気がしたのですが、映画を見ると確かに…と思いました。例えば、スーザンの病院を訪ねた死神が、末期患者のおばあさんと話したりして、病院というのは「僕の来るところじゃなかった」と漏らす…そんなユーモア。舞台のほうも、お笑いという意味ではなく喜劇という意味でコメディなのかなと。

 ジョー(死神)は人間と暮らすなかで、ピーナツバターの味を知り(庶民的な食べ物代表)、人の匂いに気づき、プールの水の感触を手で確かめ…五感を知っていく。ビルの家族や会社の人々を知ったり、末期の病で死を願うおばあさんと交流したりするなかで、人間の感情や、生きるという営みにも触れていく。そして、スーザンと恋に落ち、愛を知る。愛を勘違いしたりもする。別れを寂しく思ったりも。

 

 死神が五感を知り、感情を知り、愛を知る。この、肉体をちゃんと経る感じがとても好きでした。観念の愛しかなかった『エリザベート』のトートとそこが違う。まあ、トートはシシィと会った瞬間に自我が生まれたようなもので、それは愛と同義だっただろうから仕方ない(し、そこがロマンティック)とは思うのですが。たぶん、トートはシシィ以外の人間に興味を持つことはない(し、そこがいいんだろう)けれど、ジョーの愛はその先に行けるかもしれない。

 人間は体や感情、能力、寿命…いろんなものに縛られています。でも、限られた時間の中でそれをめいっぱい使って生きていく。スーザンのお姉さんは欠点はあっても愛すべき人物で、その夫も才ある人物ではないけれど、最後はこの偉大なる凡人に涙が止まらない。

 冒険を避けるタイプだったスーザンも、激しく恋をする。たぶん、相手を知ってから恋をするんじゃなくて、まずは惹かれる気持ちに心を開き、相手を知るのはその後でもいい…そういう勇気と情熱を持って生きることを、ビルは娘に望んでいたのかもと思いました(現実的には色々あると思いますが、物事への姿勢として)。結局最後まで、あのコーヒーショップの青年の名前がわからないことが象徴的だなと。

 原作の公爵はおそらく生まれながらの貴族だけれど、映画のビルは自分の力で会社を興したビジネスマンという設定に変わっています。それが、リスクをとって相手=世界に飛び込め…という姿勢につながっている(非常に90年代アメリカ的)。とともに、このビルと出会ったからこそ、ジョーはラストの選択に至ったのだと思いました。

 

 死神の休暇はいつかは終わる。そのとき、彼は愛する人をどうするのか? 私は映画版のラストにとても感動しました。舞台版の死神はどういう答えを出すのか、とても楽しみです。