月ときなこと宝塚

宝塚は幸せの歌

『ファントム』で初めて真彩希帆さんを見た

 とても久しぶりの投稿になってしまいました。

 先週、東京国際フォーラム ホールCに『ファントム』を見にいきました。チケットはなかったのですが、当日券に挑戦したところ、「注釈付き見切れS席」1階5列目というすごく前方の席で見ることができました。

 客席前方の両端に翼のように設置されている席で、確かに舞台端は機材で見切れて、演者の声しか聞こえないなんてこともあるのですが、それでもオペラグラスなしで表情が見えるのは最高でした。

 この5列目端っこというのは前が通路になっていて、実質最前列。すぐ横には扉があり、冒頭で突然、クリスティーヌ真彩希帆さんが飛び込んできました。ハッ!と盛大に息を呑んでしまいました笑。映像でしか見たことなかった真彩ちゃんが目の前に立っていて、目があんまりキラキラしていて、大感動。

 

 宝塚の真彩希帆さんが大好きでした。真彩ちゃんは私のいろんな扉を開いてくれた。数年前、宝塚ファンに復帰してから初めて好きになった現役タカラジェンヌが真彩ちゃんでした。初めてのライブ配信も、初めての宝塚ブルーレイも、初めてのインスタグラムも真彩ちゃん。インスタで宝塚OGさんの活躍を見る楽しみを知ったのも真彩ちゃんから。私は真彩ちゃんのインスタが大好きで、あんな文章が書けたらいいなと憧れています。

 なのに、一度も舞台を見たことがありませんでした。真彩ちゃんの公演は、宝塚時代も退団後もいつも大人気でチケットが取れなかったのと、あと何となく気後れして…。でも、今回当日券に並んで本当によかった。舞台で見る真彩ちゃん、お芝居も歌も素晴らしかったです。

 

 もちろん、キャストの皆さん全員が素晴らしかった。私が見た回のメインWキャストは、ファントム/エリックが城田優さん、クリスティーヌが真彩希帆さん、シャンドン伯爵が大野拓朗さん、カルロッタが石田ニコルさん、少年エリックが星駿成さん。宝塚版しか知らなかった私の『ファントム』観がすごく揺さぶられました。

 9月9日(加藤和樹さんファントム最終日)と10日(大千秋楽)はライブ配信もあり、私は9日だけ見ることができました。こちらはファントム/エリックが加藤和樹さん、シャンドン伯爵が城田優さん、カルロッタが皆本麻帆さん。

 『ファントム』関係者の皆さま、素晴らしい舞台を本当にありがとうございました。ライブ配信もとても見応えがあり、中央からの景色や絶妙なカメラワークのおかげで、観劇時とは違う目で改めて作品を見ることができました。

 

 以下、すごく長いうえにクリスティーヌに偏った感想です。観劇1回・配信1回しか見ていないので勘違いなどあるかもしれません。あと『ファントム』のネタバレを含みます。

宝塚版との違い

 『ファントム』は、花組 春野寿美礼さん主演、蘭寿とむさん主演、雪組 望海風斗さん主演版をそれぞれ映像で見ましたが、宝塚以外の『ファントム』は今回が初めてでした。個人的に大きな違いは、

  • 冒頭が「僕の悲劇を聴いてくれ」で始まらない!
  • ビストロでエリックとクリスティーヌの二重唱がない!
  • 基本的にエリックとクリスティーヌの恋物語じゃない!
  • クリスティーヌとベラドーヴァの演者が同じ!
  • 歌詞と演出が全般的にかなり違う!

 Amazon Musicにある Phantom: The American Musical Sensation (Premiere Cast Recording) の歌を聞いたところ、こちらが原作ミュージカルに近いのかもと思いました。

 宝塚版は、宝塚にぴったりの秀逸な演出だったのだなと思いつつ、番手を守らないといけないので人物の比重にどうしてもゆがみが出ます。その点、こちらの『ファントム』はドラマが転がっていく動因もわかりやすくて、私にはとてもしっくりきました。

(ビストロでの望海さんと真彩ちゃんの二重唱が美しくて大好きだったけれど、この場面はクリスティーヌが主役を勝ち取る場面なのだから、クリスティーヌを前面にした演出が自然なのかも…と思ったり)

 歌詞も、聞き慣れた宝塚版も美しくて大好きですが、こちらの歌詞はより原語に近いのかなと思いました。多くは聞き取れていませんが、原語の歌詞は具体的な印象です。それがかなり忠実に再現されているおかげで、細部にたくさんの発見がありました。

『ファントム』の主役たち

ファントム/エリック

 城田さんと加藤さんのエリックは、人に甘えたかと思えば激昂し、善悪の観念が定かでなく、人との距離感が不安定な幼い青年でした。そりゃ社会と接点を持たずに育ったらそうなるよね…と思う、太陽を見たことがなさそうなエリック像。オペラ座の地下の墓地、闇の中に生まれ、光を渇望して育った。

 かわいそうに思う反面、人を平気で殺すし、殺人直後に喜々として好きな子をピクニックに誘う異常さ。エリックの父キャリエールがクリスティーヌに、彼を一面だけで理解することはできないと言ったのは、観客に向けての言葉でもあると思いました。ともするとエリックかわいそう、クリスティーヌひどい…となりやすいところ、エリックの両面性や不気味さがはっきり表現されていたのが個人的によかったです。

 

 「Where In The World」の歌が大好きなのですが、エリックが最初に歌う大ナンバーがこの曲なのが、宝塚版しか知らなかった私には新鮮で、すごく納得がいきました(宝塚版は「僕の悲劇を聴いてくれ」から始まる)。私の中で、この曲は演目から独立した名曲になりつつあったのですが、城田さんが再び物語に埋め戻してくれました。

 それと、クリスティーヌに顔を見られて逃げられたあとに歌う「My Mother Bore Me」。あまりの名曲に、城田さんの歌を息を止めて聞いていた気がします。加藤さんの歌は、エリックの中で世界のあらゆるものがクリスティーヌになっていく狂気と悟り、愛と呪いが目に見えるようで、神々しくさえ思えて、配信を見ながら大号泣。

 エリックは常識で考えればとんでもない人物だけれど、善悪を超えて、いろんなことを考え、感じさせてくれる。ミュージカルの力を改めて感じました。

 

クリスティー

 真彩ちゃんのクリスティーヌは、いうなれば音楽馬鹿(失礼)。ビストロで歌コンテストに勝ったあと、シャンドン伯爵と夜デートしてこれは恋~とかI love you~とか言われているのに、さっきの自分の歌は「6点か、7点か」とか聞いてしまいます。クリスティーヌには、音楽以外の強い動機がない気がする。自我もあまり強くない。

 クリスティーヌが初めてオペラ座に来たときに歌う「Home」が大好きです。衣装部屋で洗濯物に埋もれながらも、音楽にあふれたこの場所をホームと感じ、聞こえてくるオーケストラの楽器の音色に耳を澄ませる。私まで音楽に包まれた気持ちになりました(歌詞に出てくる楽器の音色が音楽でも聞こえた?のがまた感動)。

 私はクリスティーヌが天涯孤独な気がしていて、社会がどこもアウェーだったクリスティーヌがようやくホームを見つけた安らぎを感じました。雪組版では、「アリアを聞けば感じられるわ この世に生まれた喜びや幸せも」と歌う真彩ちゃんから、生きていく場所=舞台を見つけたクリスティーヌの心の震えが伝わってきたのを思い出します。

 

 今回のクリスティーヌは、エリックにもシャンドンにも基本、恋愛感情を持っていない気がします。エリックは音楽の師として尊敬し、機会をくれたシャンドンにも感謝しているけれど、クリスティーヌにとって一番大事なのは音楽と、舞台で歌うという夢。

 恋愛より夢に邁進したい時期のクリスティーヌ(と私には思える)が、それでもシャンドンと恋仲になるのは、やはり彼がオペラ座の大パトロンだからなのかなと。押しが強いし(クリスティーヌは、カルロッタにも押し切られてファントムのレッスンのことを話してしまうなど、基本的に押しに弱い)。

 それに、ハンサムだし、親切だし、基本的に善人だし。クリスティーヌも惹かれてしまうよね、とは思います。甘い雰囲気に流されてしまう…と、顔を見られて逃げられたエリックも言っていました。

 

シャンドン伯爵

 大野さんと城田さんのシャンドン伯爵は、とてもかっこよかった。見目麗しく、堂々としていて、何でも持っている恵まれた人。まさにシャンパンのように光り輝く昼の王子。エリックと対照的です。

 それにしても、この人はいつクリスティーヌを好きになったんだろう? パリの街角で一目惚れ…にしては、ビストロで再会するまで、クリスティーヌが歌手ではなく衣装係にさせられたことさえ知らなかった(様子を見にいけばいいのに)。クリスティーヌが歌も衣装も見違えて美しくなり、一夜でオペラ座の主役をつかんだシンデレラガールだからなのかなとも思いますが、再会前から恋しているふうでもあり、うーん…。

 

 でもこの人は物語上、クリスティーヌをオペラ座に連れてきたり、エリックがクリスティーヌへの気持ちを自覚したりするきっかけを起こす重要な役割でもある。もうちょっと描き込めないのだろうか?と思っていたら、今回エリックとクリスティーヌとシャンドンの三重唱があって、おおっ!と思いました(公演プログラムを読むと、2019年版からあったらしい)。宝塚版でも、二番手をキャリエールではなくシャンドンにしてみると、ちょっと違う『ファントム』になって面白そうです。

 それでも、今回のシャンドンがクリスティーヌにふさわしくないと思うのは、クリスティーヌがエリックにさらわれたあと、地下へ追いかけようとしながらも、警察に止められてあっさり引き返してしまうところ。地下にいる確証はないのだから仕方ないけれど、合理的な昼の王子は闇の世界からクリスティーヌを救うことはできない、という象徴的な場面に思いました。

 

カルロッタ

 石田さんと皆本さんのカルロッタは、クリスティーヌとの対比が明確で面白かったです。プリマドンナになるために何でもやって、夢を手にしたカルロッタ。オペラ座支配人の夫を利用しているのも確かだけれど、愛し愛されているのも確か。でも、才能だけが足りない。そんな彼女が、自分からは何もしない(ように見える)のに歌の才能だけはあるクリスティーヌを死ぬほど憎むのはわかる気がします。

 カルロッタの歌「This Place Is Mine」は、オペラ座のすべてを手に入れた(トイレまで!)のに、音楽だけが自分に微笑まない苛立ちのように聞こえました。石田さんの歌はとくに。皆本さんは、興奮すると過呼吸気味になって夫がなだめる描写があり、自分の満たされなさを自覚しそうになると発作が出ているようにも感じました。

 

 オペラ座のすべてを掌握したと宣言しても不安なカルロッタと、音楽を聞くだけでそこが自分の居場所だと安らげるクリスティーヌ。カルロッタだって音楽が好きで歌い始めただろうに、音楽の神に愛されていない。クリスティーヌは才能があるうえに、努力をしてそれを開花させる。その差に、何だかカルロッタを応援したくなりました。

 まあカルロッタも、強欲なうえに、クリスティーヌに毒を盛るという暴挙に出る。それでも、あんなふうに惨殺されるいわれはないはず。エリックにめった刺しにされて、楽屋の隠し扉から奥に引きずり込まれる姿が、恐ろしくも悲しかったです。

 

 こうして見ると、自分が一番ほしいものが手に入らない人たちなんだなと思います。エリックは愛を求め、クリスティーヌは夢を求め、シャンドンは恋を求め、カルロッタは才能(自信?)を求め…。クリスティーヌだけは夢を手にしますが、みんながよってたかってそれをつぶす。極端な見方ですが、結果的にはそんな気がします。

キャリエールとベラドーヴァ、とクリスティー

 今回とても驚いたのが、エリックの母ベラドーヴァとクリスティーヌを両役とも真彩ちゃんが演じていたことです。これがとてもよかった。エリックとキャリエールにとってクリスティーヌがどんな存在に見えたのか、とてもよくわかりました。

 

キャリエール

 すべての悲劇の芽は、キャリエールが結婚を隠したままオペラ座の踊り子ベラドーヴァと恋に落ちたこと。妊娠したベラドーヴァはキャリエールの結婚を知って姿を消す。キャリエールが探し当てたときには薬漬けになっており、狂気の中でエリックを産む。生まれたエリックは目も当てられない容貌をしていた…。

 そしてドラマの発端も、キャリエールがオペラ座支配人を解任されたこと。これでクリスティーヌは歌のレッスンを受けられずに衣装係となり、ひとり歌うところをエリックに聞かれ、秘密のレッスンが始まり…と玉突きのように事態が発展します。弱い本人の周りで嵐のようにドラマが回る。自業自得もあるけれど、なんとも不運な人だなと。

 

 この人も一筋縄ではいかない人物です。宝塚版では、主に二番手スターが演じることもあって、どうしてもキャリエールに対する評点が甘くなります笑。でも岡田浩暉さんのキャリエールは、弱さ、優柔不断、臆病さ、エゴ、老い…をちゃんと表している。それに、エリックを長年(やり方は間違っていたかもしれないけれど)守ってきたのも確か。それが愛でなくて何だろうとも思います。

 最後のエリックとの「You Are My Own」は、こんな因果な奴らに泣かされてたまるかと思いつつやっぱり号泣。宝塚版は銀橋を使ったドラマチックな演出だけれど、こちらは階段の下で二人うずくまって身を寄せ合う…というのがさらに悲しくて。もう、こんなに辛い人生を与えてごめんね…と勝手に神様のような視点でキャリエールの労をねぎらいたくなります。

 

ベラドーヴァ

 キャリエールがエリックの物語を語るなか、クリスティーヌは退場して真彩ちゃんはベラドーヴァとして現れます。ベラドーヴァにセリフはなく、ほとんどを踊りで表現。このダンスがまた素晴らしかったです。

 真彩ちゃんは、役の感情を見る者の中におこさせる天才だと思います。それを実現するには声や体を絶妙にコントロールする必要があり、それが演技力であり表現力であると思うのですが、そこがずば抜けている。

 ベラドーヴァの踊りを見て、雪組ひかりふる路』の「葛藤と焦躁」の歌を思い出しました。マリーアンヌの愛と悲しみ、それ以上の怒り(仇なのに愛してしまったロベスピエールへの、社会、時代、革命、運命への…)が伝わってきて衝撃を受けました。宝塚の娘役が怒りをこんな形で表すことに驚くとともに、とても嬉しくてファンになった。

 

 キャリエールは、美しいベラドーヴァが平凡な自分を好きになってくれたのを不思議に思い、理由を尋ねる。そのとき、ベラドーヴァは答える代わりに歌い出した…ということに何だか感動します。その美しい歌声を初めて聞いた岡田さんキャリエールの感動が、伝わってきたのかもしれません。

 でも、妊娠して結婚を望んだのにキャリエールは既婚者だったと知ったときの衝撃、悲しみ、怒り。闇の中で踊るベラドーヴァに、「従者」が布に包まれた赤ん坊を渡してエリックが誕生。

 『ファントム』では、地下に住む名もなき人々「従者」が重要な役割を果たします。エリックと同じように、上の世界に居場所がない人々。従者はみんな重そうな布で頭を覆ったり仮面を付けたりしています。エリックより悲惨な容貌や境遇の人もいたかもしれない。人は闇から生まれ、闇に消えていく…従者を見ているとそんな気がします。

 

 でも、赤ん坊を抱いたベラドーヴァに光が差し込みます。そして彼女が歌うのが、醜いはずのエリックに語りかける「Beautiful Boy」(宝塚版は「You Are Music」のみ)。歌詞を正確に覚えていないのですが、この腕の中なら怖くない、ここにいれば誰もあなたを傷つけない、二人でいつまでも…みたいな歌詞でした。母の愛には違いないけれど、エリックにとっては、一生をここに閉じ込める呪い以外の何ものでもない。

 そして、この歌がそのまま「You Are Music」につながることに鳥肌が立ちました。

「You Are Music あなたこそ私の光」

 周りにいた従者がベラドーヴァの腕から赤ん坊を引ったくると、布の中には何もない。布は大きく広がって光の粒がキラキラ降り注ぎ、少年エリックが後ろに登場する。客席から見たこのシーンは、照明を見上げているせいもあってあまりに神々しく、息が止まりました。と同時に、ベラドーヴァの瞳に本物のエリックは映っていなかったことを表してもいるようで、悲しかった。

 

地下のクリスティー

 クリスティーヌがエリックに素顔を見せてと歌う「My True Love」が昔から苦手です。素顔を見せて、何もかも知りたい、私に何もかも預けて、真実を見せて、さあ!と両手を差し出して迫ってくるなんて、もはやホラーに見えます(すみません…)。

 それに、クリスティーヌがいきなりエリックに愛を語り始めるのが不自然に思えて。宝塚版は、ファントムのレッスンが終わるときの「You Are Music」で、互いの気持ちが通じる描写が強めだったので、もっと自然に思われたのですが(その分、素顔を見て逃げていくクリスティーヌが余計ひどく見える…)。でも、今回は不自然に思う…で正解な気もしています。

 というのは、エリックの物語を聞いたあとのクリスティーヌは、半分ベラドーヴァに憑依されているように見えるからです。「Beautiful Boy」でベラドーヴァがエリックにかけた愛と呪いをクリスティーヌも受けている。クリスティーヌは、地上にいたらエリックに顔を見せてほしいなんて言わない気がします。やはり地下という闇の世界の魔法にかかっている部分があると思う。

 そして、ベラドーヴァに憑依されたクリスティーヌだからこそ、エリックは素顔を見せても大丈夫かもしれないと思ってしまったのではないかと。

 

ファントムの素顔

 ここで、『ファントム』は単に「顔」の話ではないのだなとやっと気づきます。

 ファントムはどんな素顔をしているのでしょうか? 人を不安にさせる和音、音の組み合わせというのがありますが、もしかしたら視覚的にも人を恐怖に陥れる視覚パターンというものがあり、エリックの顔は不幸にもそういうものだったのだろうかとかいろいろ考えます(原作小説の描写もやや超常現象気味)。ふつうの「醜さ」だったら、『ファントム』のクリスティーヌは逃げ出したりしないと思うのです。

 それに、クリスティーヌはどう反応すべきだったんだろうか?とも。見ても顔色一つ変えずに微笑む…というのは別の意味でホラーだし、衝撃を受けつつ気丈に振る舞うのも、今度は「クリスティーヌ 偽善者」とかいう検索ワードが出てきそうです。エリックも観客もクリスティーヌに「聖女」を求めすぎで、クリスティーヌも地下の雰囲気に飲まれたのかその気になってしまったのが運の尽き…というと元も子もないですが。

 

 そもそも人の容貌を「受け止める」とは何だろう? 容貌だけでなく、たとえば過去に犯した罪とか、醜い感情とか、人にはいろいろ隠したい秘密があるけれど、それを知ったときに私たちはどう反応するのがいいのか? ということを考えさせられます。

 それと、仮面をつけたままの人間関係は果たしてウソなのだろうか?とも。仮面をつけたファントムとのレッスンで、クリスティーヌは音楽を通じて心が通い合うのを感じていたと思います。それをキャリエールにあなたはわかっていない、と否定された気がしたから、エリックの素顔を見て自分を試そうとした…とも考えられます。

 

 まあ、結局クリスティーヌは自分に負けてしまいます。自分の中にある愛を信じたクリスティーヌが、あるいは、人に助けてもらってばかりだったけれど自分にも人を救えると思ったクリスティーヌが、エリックの顔を見た瞬間表情を失い、足の力が抜けて座り込んでしまう。エリックが差し出す手にびくっと身を引き、懸命に立ち上がろうとするも叶わず。ようやく立ち上がると、エリックの顔を見ずに無言で走り去る。

 観劇後、一番よく思い出すのがこのシーンです。そしてあれこれ考えたあと、いつも最後に思うのは、これで若いクリスティーヌを責めるのは酷だということです。もちろん、あんまりな生い立ちをしたエリックも。この二人が「愛」に飛びつかず、エリックが「My Mother Bore Me」で歌う「真の友達」になる道はなかったのか…と思わずにいられません。

 

クリスティーヌという人物

 ここからはほとんど私の妄想なのですが…。

 クリスティーヌは謎多き女性です。19世紀に若い女性がパリに出てきて、歌いながら楽譜を売って、一人でオペラ座を訪ねて、誰にも相談せずそのまま就職する(ように見える)。エリックの過去はあれだけ語られるのに、クリスティーヌについては誰も興味を持っていない気がする。ちょっとくらい聞いてあげて!と思います。

 だいたい、歌手になりたいのになぜ楽譜を売る? そもそもなぜ楽譜が書ける? その教養はどこから? ウィリアム・ブレイクの詩も知らないのに…。仮面の男にほいほいレッスンを受けてしまう辺りも不用心です。

 今回のエリックは少し不気味(すみません…)なところがありますが、クリスティーヌもけっこう不気味(本当すみません…)です。クリスティーヌは人を信じすぎる。人の悪意に鈍く、意地悪されてもいつも笑顔。私には、クリスティーヌ自身が仮面をかぶっているように見えます。「いい人」の仮面を。それを、エリックが素顔を見せたときに一緒に剥がされた…そんなふうにも思いました。

 

 クリスティーヌの生い立ちは劇中でほとんど語られません。「Home」の歌詞に一瞬「パパ」が出てくるくらいです。ひとり生きていくために、人の情けに頼り、悪意から目をそらして感情に蓋をするしかなかったのかな…などと考えます。

 たとえば…クリスティーヌは田舎町で父親とふたり貧しい生活を送っていた。父は音楽家だったが家は没落し、母は早くに亡くなった。音楽馬鹿な父親に生活能力はなく、クリスティーヌが働いたり施しを受けたりして辛うじて暮らしていた。

 でも、クリスティーヌは父の音楽が大好きだった。働くのに手いっぱいで勉強する暇もないけれど、父から音楽の素養を受け継ぎ、自由に歌う。オペラ座の話を聞いたり、父が楽譜を書くのを見たりしていたかもしれない。その父も、やがて病気で亡くなる。天涯孤独になったクリスティーヌはどこかの家で住み込みで働くが、突然仕事を切られ、パリに仕事を探しにくる。

 冒頭のパリの広場で歌うクリスティーヌは、そんな追い詰められた状況にあったかもしれない。飾り気のないドレスで(宝塚版とは違い質素なドレスだった)、笑顔を仮面のように顔に張り付かせながら、歌うことで辛うじて生きている。音楽だけが父との唯一のつながり、幸せが存在したことの証だから。そして父親が言ったとおり、行けばわかるはずの自分の居場所を見つけたい、舞台で歌いたいと願い、夢に向かって歩き出す…。

 

 実は今回、クリスティーヌの人物像が最後までよくわかりませんでした。真彩ちゃんの歌に、演技に感動しながらも、クリスティーヌはやはり謎のままだった。それは、クリスティーヌの背景があまりにも描かれていないから…というのが大きいと思います。劇中ほとんど従順なクリスティーヌの数少ない積極的行為が、街角で楽譜を売ること(と、キャリエールに逆らって地下に残ったこと)なのに、どういう経緯でそうなったのか描かれていないので。

 真彩ちゃんは、クリスティーヌを演じるのはこれが最後と言っていますが、いつかこの謎を解いてほしいなと勝手な願いを持ってしまいます。

 

 最後に、クリスティーヌはエリックの死後、どうやって生きていくんでしょう? 

 このクリスティーヌを幸せにできたとしたら、シャンドンの光属性も本物だと思うけれど、クリスティーヌは自分の力で立ち直っていくのかもしれない…と、願望を込めて思います。最初は罪悪感でいっぱいだろうけれど、歌い続けてほしい。音楽をホームに、名実ともに世界のディーヴァになってほしい。

 

 すごく長い記事になってしまいました。観劇後、いろいろ考えすぎて感想がまとまらず(まだまとまってないけれど)、やっと最後まで書くことができました。

 今回『ファントム』の物語と音楽の豊かさを改めて知りました。まだまだ知り足りない気持ちです。私の世界をまた豊かにしてくれた真彩ちゃんに、すべての『ファントム』関係者の皆さまに、感謝しています。